第二次世界大戦下のドイツ、アウシュビッツに代表される強制収容所での経験を心理学者として綴った本『夜と霧』。
6月はヴィクトール・フランクル特集でした。
この、暗い、そして重い内容の本を扱った今回の読書会に新規参加でお2人。こんな機会でもないと読みにくい本です。
いつものように読書会を進めていって、普段とは違う場所で急激な盛り上がりがありました!
3番目の質問で著者への質問を3つ考えてもらうのですが、そこで「この本、どの書店にも置いてあるんです。なぜ今も多くの人に読まれているんでしょうね?」と言う疑問が投げかけられました。そこで、自然と4番目の質問「なぜこの本がここにあるのか」に移行。
この本がここにあるのは
・希望の科学だから
・人間の根底にある課題だから
〜本がなくても言い伝えられていくであろう、宗教や経典のように
そこにある何か、生を受けているもの全て、微生物レベルでもDNAレベルでも
神の意図のように
・自分の経験を伝えていくため
〜自分の経験を伝えていくためのヒントになった
どんなに医療が進んでも病気は薬だけでは治らないのではないか、と言う思いがある
自分は幸せの追求をしたい、そのために「希望」を伝える表現を探している
自分の病気の状況を口に出せたことで変わった
その事象を自分でどのように捉えているかで状況は変わるから
このシェアに触発されて
〜どんな状況でも自分に向き合うことをしていないと(=現状を否定していると)、
例え思い描いたイメージが現実になっても満足感がないんですよ
これはコーチをされている参加者の方からでしたが、とても参考になるシェアでした。
理想があってそれが実現しても、現状を受け入れていないから、スタート地点がない状態。
スタート地点を認定していなければ、目標地点にたどり着いていても比較しようがないから満足感にならない。
すなわち達成感にならない、と言う大いなる学びがありました。
こう言う学びの瞬間を共有すると、触発されていろんな記憶が呼び覚まされるようです。
昔、この読書会の会場近くで働いていたことがある参加者の方が大切なことを思い出したのです。
〜過去の自分はSEとして昼夜なく働いていた。SEの多くはウツになっていて、
多くの人がひどい状況だった
自分に出来ることは限られていた
だから、今自分にできることをやろうと決めた
それを伝えること
それを伝えるために自分は活動している
このシェアをしてくれて、
「ああ!ここが強制収容所だったんだ!」と言う気づきがやってきて
参加者一同も大きくうなづくことになりました
時代が変わっても、人の心の中に強制収容所がある
物質的に満たされた現代であっても
心が自由ではないのだ、と気づく
この本はむごい過去を伝えるためだけにあるのではなく
私たちそれぞれの経験が、本の状況と同じであり
その環境を希望に変えていくためにこの本がここにある
このようなことに参加者の方々と一緒に気づくことができる
それがしつもん読書会の醍醐味なんだと、またまた感動。
これは参加していただかないと実感していただけないんです。
医師として、そして人間の極限を体験した者として
著者は「人間の内面は外的な運命よりも強靱」なのだと悟り、
一方で、多くの悲惨な運命を生きる人たちを目の当たりにして
「暫定的な有様がいつ終わるのか見通しがつかない人間は、
目的を持って生きることができない」と言うことも経験するのです。(P119)
この表現だけだと少し理解が困難ですが、
異常な状況下では未来を見ることが困難になりますが、
それでもなお、内面的に崇高さを保ち、生きる意味と未来を信じられるか
ここが生き延びられたかどうか、人間の真価が発揮された点であると語られるのです
よく引用に出されますが、収容所でクリスマスには釈放されると信じていた人々が
その後現実にならないことから希望を失い未来を描けないまま
新年にかけて大量に亡くなってしまったと言う現象になっているのです。
(P128)
では、「生きる意味」とはなんなんだろう?
こんな状況でも生きる意味があるのだろうか?
著者が伝えたかったこととは?
・「生きる」とは目的を持つことなのではないか
〜病気の状況に終わりが見えないことがとても辛かった
だから生きることに目的がなくなってしまった
明日もその先もずっとこれが続くのか
何を頑張ればいいのか
生き延びた人々は「いつかは終わる」と思えた人たちなのでは?
自分が変われたのは「今日を楽しく生きよう、明日死んでもいいように」
と思えるようになってから
・「楽しい」と感じるときを考えると、物質的な「楽しい」は短く、
本当の「楽しい」は人との関係性において思う
・心の収容所を変える、あるいは出ていくこと
〜心の収容所を作るきっかけは色々ある(トラウマとなる出来事だったり、会社だったり)
そして、それは心をどこにおいておくのかと言うこと
「部屋が汚い人は、どこに引っ越しても汚いってことだよね」と
大胆発言があり、一同爆笑
・自分自身を「魂の存在」として考えられるかで「幸せ」が変わってくる
信じる力、神我、物質で求められるものではなく
私自身、今回ヴィクトール・フランクル特集をやって一番の収穫はこれです。
「人生とは、生きる意味を問うことではなく、人生からの問いに答えること」
「生きる意味は何か」と私たちが人生に問うことは初めから間違っている。
私たちが人生に問われているのです。
君に何を期待していいのかな?って
人生は楽しみのためにあるのではない、幸せのためにあるのではない
それらは人生の目標ではなく、結果にすぎない
生きることは義務であり、たった一つの重大な責務なのです
人生の喜びそのものを欲することはできないが、それは自ずと湧いてくるもの
『それでも人生にイエスと言う』の前半にこのようなことが記載されていました。
ヴィクトール・フランクルの本は
・魂の本であり
・一度で理解するのは難しい本であり(繰り返し読もう!)
・自分の今と向き合う本
でもあります。
自分に向き合うと言うのは時に困難です。自分のことは見たくないから気づかないことが多い。
そうであっても、自分自身が自分のフィールドや人生でフランクルになれるか、と思う。
そして、今回の魔法の質問はこのような内容になりました。
・今日までの人生をどのようにとらえていますか?
・プロスポーツの監督や選手がチームを移籍する理由は何だと思いますか?
どう言う意味かわかりますか?
・で、どうするの?
・「人生」があなたに問うている意味とは?
以上が6月の読書会報告です。
今回はこの読書会の感動をお伝えするのが文字では難しいなあとつくづく思いました。
感動はライブで生じているから当たり前ですが。
だから、本を介してこの感動を共有する読書会がとても好きです。
ぜひ、多くの方々にこの感動を共有していただきたいと思っています。
次回以降の予定はディスカッション欄をご参照ください。
7月29日の読書会はいつもと少し趣を変えます。
あなたの願望をヴィジョンボードという形で見える化します。
なかなか自分一人ではやらないので、ぜひこの機会にご一緒にどうぞ!